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2011.01.12 Wednesday

私がカメラをライカにした理由…

 まだ10代の時だ。私は、片道2時間30分かけ
ヨコハマから美大に通っていた
電車内で過ごす時間だけでも、毎日3時間以上あった。
テーマの問題だが、当時、人間を描こうと思っていた。
電車内で毎日過ごす3時間がもったいない。
それで人間観察を兼ね、電車内でシートに座る反対側の人を
スケッチブックを広げ大真面目で素描した。凄く嫌がられた。
中央線の車内で、描いているとモデルの男が本気で怒りだし
殴られたことも2回ある。まあ、そういう事は仕方がない。
 その頃、父がニコンFを買った
半分以上は私の策略的なニコン購入の勧めで父が買ったものだ。
それで、ニコンFは、ほとんど私が使う事になった。
下手なくせに、人物を良く写した。
 
父の形見のニコンF

 ある日、銀座をぶらついていると「時代の目撃者展」と言うタイトルの
マグナムのメンバーの写真展に出くわし入場した。
ニコンFを肩にした私は、ある写真にくぎ付けになった。
それは盲目の音楽家がアコーデオンを大きく伸ばしたシーンを
写した写真だった。構図その他、完璧に思われた
魂を抜かれたように若い私は、ニコンFを肩にしばらく写真に見とれていた
(ニコンを肩に写真展に入るなんて、今思えば赤面ものだが)すると
小柄な外国人に声をかけられた。
フランス語かなんかの訛りのある英語を話す外国人だった。
「ボーイ、君は写真家を目指しているのか?」
「君はどの写真が好きなのか」と言うような内容だった。
私は、「このアコーデオン弾きの写真がベストだと思う」位の事を
お粗末な英語力で答えた。
しばらく沈黙があり、「そうか、これは私の写真なのだよ」と言うのである。
見知らぬ外国人は、なんと写真家「アンドレ・ケルテス」その人だったのである
会場でサイン会が企画され、その為に控室に居たのであろう。
自分の写真を眺める、ニコンFを肩にした東洋のボーイに
控室から出てきて声をかけたのだった。
「アンドレ・ケルテス」は、銀色のライカを首に下げていた
当時の私には知識もなく、レンズも型も分からないが
カメラがライカである事だけは分かった。
「アンドレ・ケルテス」からカタログにサインまでもらって
銀座の街を新橋まで呆然と歩いたことを覚えている。
その時、いつか自分もライカを手にしようと思ったのだった。
 それから40年、ロクな写真は撮れないくせに
ライカが10台ほど家にある。馬鹿げたことだ
カメラがライカであっても良い写真が写せるわけではない。
ライカM9を最後に、もうカメラは買わない。 
死ぬまでに、一枚くらい自分で納得が出来る写真を撮影したいと願う。
他に望みは無い。残り時間の少なくなった私は
「何とか一枚写したい」と、正直祈るような気持ちで居る

2011.01.10 Monday

手慣れた道具は捨てられない

今日は法事で、東京白金台方面に出かけた。
私が30歳の時、父が急死した。長い年月が過ぎ去り
お寺から通知が来ないと、申し訳なくも
何回忌なのか分からなくなってしまった。
27歳の時、30歳までにライカを買おうと決め
貯金が100万になっていた。そこに父の急死である。
葬儀代は何とかなったが、墓石代が不足していて
ライカを買おうと貯蓄した100万円は当然消えた。
ライカを買うなどは身分不相応だったのかと思い諦めた。
ライカと言う普通のカメラは、当時まだまだ高値であった。
ところが、法事でお寺に行き墓石を見るとライカに見えてくる。
これでは父も浮かばれない。一度は購入を諦めたが
また100万円貯めてライカを買いに行った
まだライカがブームになる前だったので、専門書や情報も少なく
知識もないまま「とにかくライカM4と、ズミクロン35㎜を買おう」と
東京まで出かけた。現金100万円を持って
ライカを買いに行くなど、今では考えにくい。 
高輪のカメラ店にあったライカM4は
ひどい傷があり「これくらいの傷があった方が、大胆に使えますよ」
「傷物ライカの方が、普通のカメラとして扱えるんですよ」と言う
店員さんの良いアドバイスを聞かず
なまじ金があったので新品のM4−Pを買ってしまった
それにレンズを中古で2本買ったが、おつりが25万円程しか無かった。

30年使った、愛機ライカM4−P

今なら、傷物のM4の方を買った事だろう。
しかしこのM4−Pはよく使った
一度メンテナンスに出したところ
シャッターが非常に調子良いようで「アタリのライカ」だと
修理屋さんが言うので愛着も深くなった
本当かどうかわからないが
アタリやハズレがある工業製品と言うのは困ったものだ。
30年ほど使いシャッター幕を太陽光で少し焼いてしまったが
ヨコハマの「大貫カメラ」の店長さんに見てもらったところ
問題ないようなのでそのまま使っている。
その後、何台かのライカを手に入れたが、いまだに現役である
昨年、デジタルのライカM9を導入したので
出番はほとんど無くなってしまったが
とうてい手放す気になれないでいる

2011.01.06 Thursday

古い写真に魅力を感じて

正月は家に居る事が無く、ウロチョロし過ぎてバテ気味
今日は外出せず、作品を接写したり画像の整理などをする
以前オマケでもらった、外国のネガフィルムをスキャナーで読み込んでみる。
写真の凄いのは、そこに時代が写っている事で
後の世に撮影意図と異なるものに意味を持ってしまう。
写真の記録性だ

 

このネガフィルムは、アメリカから輸入したものだと聞いていたが
どうもヨーロッパで撮影されたものではないだろうか
第2次世界大戦の時だと思うが、戦後かも知れない。
どこの街なのだろう。時代、場所、人物など興味が尽きない。
これが最近撮影された写真であったら
他人の写真であり興味が持てないだろう
戦争映画のスチール写真ではなく、実写であることが凄い 


このチョット気取った二人の男は、ヨーロッパの人間か
いやアメリカ人だろうか
おそらく戦後すぐの時代だろうが、場所も分からない。
どうでもよい個人スナップ写真だが、興味深い
芝居や、映画のワンシーンのように
演出された写真では無い事が魅力なのだろう。
作品として発表するために撮影したものではないが
訴える力を持っている。写真の魅力のカギがこの辺にありそうだ

2011.01.05 Wednesday

持った者の、責任と言うものがある

昨日ブログでふれた、鶴見区の豊岡小学校のフリーマーケットで手に入れた
3万円のライカについて少し補足した方が良いかもしれない
ライカはボディ番号から製造年が分かるが、私のライカは、1936年製である。
これはナチスドイツのヒトラーのもとで行われたベルリンオリンピックが開催された年である
女子200m平泳ぎで、「前畑秀子」が金メダル
マラソンでは韓国の英雄「孫基禎」が(日帝時代であったから)
胸に日の丸をつけさせられて金メダルを手にした。



業者がアメリカから箱で輸入した中の一台
1936年製ライカスタンダード型は
巡り巡って私の手元にきたが値段通り程度のひどいシロモノだった
まず勝手に改造され、ストロボ用の接点が増設されている。
外装も、わけのわからぬ革に張り替えられている。
シャッター幕も正規の物でなく全く別物に交換されている。
シャッターは時々ムラがあり速度不明で
露出がシビアなカラーリバーサルフィルムは使えない。
がしかし、モノクロフィルムでは何とかなる。
用は使い方で、広角レンズを付けてスナップカメラとして時々持ち歩いた
例えば21亶角レンズ専用機とすると
下手なオートフォーカスカメラよりも速射性が高いのである。
3万円では安すぎる



パウル・ヴォルフ撮影「伯林オリムピック写真集」の上に乗せた
私の1936年製ライカ・スタンダード

しかし、数年前からシャッターの状態が更に悪化してきて、修理が必要だ。
ライカの良いところは、70年前のカメラでも修理すれば治ることである
それだけ構造が単純という事なのかも知れないが、凄い事だ
昨年、ライカf を手に入れてしまったので
このオンボロライカの出番はなくなってしまったのだが
70年の歳月を超えて現役であり続ける工業製品をそのまま放置するのは忍びない
このようなモノを持った者の責任があるように思う。
損得計算は抜きで、今、修理することを本気で考えている

2010.12.30 Thursday

カメラは道具に過ぎない

横浜元町、カメラを肩に歩いていると、「M9ですか?」と
知らない方から声かけられた。
長身でソフト帽をかぶり、仕立ての良いコートが似合う年輩の紳士だ。
実は、『あっ、ライカに90㎜レンズを付けて撮影しているな…』と
この紳士の姿は、私の方が先に街で目撃していた。
ウエストンの露出計でチョットと光量を測り
短時間でサッとシャッターを切っていた。
粋なものだ。ポジションの取り方、撮影の速さなど
『コレハなかなか出来る人だな』と、気付いていたのは私の方だ
被写体をどのように切り取るのかも
90㎜レンズを付けたカメラでの立ち位置で)だいたい撮影意図がわかる。
ライカカメラを使っていると、見知らぬ方から声をかけられる事が時々ある。
大概、相手の人もカメラはライカだ。
この紳士もライカM3に、姿の良い初期型のテレエルマリート90㎜/f2.8を付けている。
完璧である
ファインダーの関係で望遠系レンズを使う時は
M3が使いやすい。ライカを長く使っているのだろう
よく心得た方だ 私も35㎜レンズはライカM2
50と90㎜はM3に、と使い分けてきた。
私は、1981年に初めてライカM4−Pを購入し使ってきたが
この方はもっと前から使ってきたのではないかと思う
ライカが手になじんでいて、単なる道具として使っている事がわかる。
おっかなびっくりライカを扱う姿ではない。
20年位前に、日本でライカがブームになった事があり
巷にライカを持った人を多く見かけるようになったが
手になじんでいる人は少なかった
この頃はライカを出すのが自慢たらしくて私は恥ずかしく
1万円で買った中古と言うよりジャンクに近い
「キャノンP」等を使っていた。
安物だけにカビでファインダーが霞んでほとんど見えないという
ひどい代物だったが気に入っていて、結構使った。

愛しの、キャノンP

別に特別なカメラではないのに、ライカが嫌味っぽく見えて
使うのがはばかれた。
今は、デジタルカメラが主流となり、フィルムカメラの価格が暴落し
旧式カメラのライカは特別なものではなくなり
出しやすくて良い時代になった
ライカ使いの紳士とは、ほとんど会話もなく分かれたが
お互いこのような事は話をしなくとも分かっている者同士の
気安さがあるのだ。お互い、見ればナンボノ者かわかる。
こういう時はあまり話をしないほうがよろしい
知識をひけらかしたり、カメラの薀蓄を語ったりするのは
下世話な事だ。その後、私もいつも通りブラリ撮影しながら歩いた

2010.12.27 Monday

カメラの進化とは…

久しぶりに、日の出撮影の為に早朝から出かけた
何日もの間、早起きしてMM地区を見るのが日課になっていた
ところが朝は曇り日が続き、半ばあきらめていたのだが
今朝は見事な雲のない朝焼けで、家を飛び出た
東の空が見る見る赤く染まっていく 
港の撮影現場は風がビュウビュウ、さすがに寒い
最近買ったダウンのロングコートが
大げさなものではない事がやっと分かった
秒単位で空が明るくなり、撮影の露出値が変って分からなくなってくる
シャッターを切って、モニターで写りがすぐ確認できる
デジタルカメラがありがたい
しかし、カメラのオートフォーカス機構は
激しい太陽光に目がくらみ、ピントが合わせられない。
最新のデジタルカメラが、使い物にならないのは大笑いだ
水平線の太陽は無限遠大で、ピント合わせは不要なのに
ジージーと永久にピントを必死に合わせようとする。ゴクロウサン
ピント検出が苦手な被写体であるのは分かっているが
高価なのにおバカなオートフォーカスカメラだ
頭にきて海に投げ込みたくなる。念の為サブで持って行った
ライカM9はピント合わせがマニュアルだから、土壇場で強い
レンジファインダーの小さなフレーム枠に
135㎜レンズは厳しいが確実に撮影できる。
テレエルマー135㎜/f4は、今時まことに地味なスペックのレンズだが
写りは世界最高峰であると私は断言する

こんなレンズが役に立つとは

このレンズに匹敵するのは、おそらく京セラ・コンタックス用の
プラナー135㎜/f2しかないだろう。
解放f値は比べようがないが。しかしプラナーレンズを
日の出撮影のような程度の低い写真撮影に持ち出してはいけません
日の出を写す程度なら、もっとぼろレンズで十分で
写りに差は出ない。くだらんレンズ談義は嫌いだから止めましょう
前回撮影に来たときは、二人のオッサンのラジオ体操に悩まされたが
今回は現れなかった。寒さに控えているのだろうか
軟弱な連中だ でもアノでたらめなラジオ体操は懐かしい

2010.10.15 Friday

今日はカメラの事です。

今日は、横濱百景写真展用の写真撮影は休み。
曇りで空がダメ過ぎでした。
オフの時はデジカメは止めにして
リバーサルフィルムをライカR9につめて、ブラリ散歩がよろしい。 

欲ばってライカM2も持ち出して、結構な重さになりました。
ついでに、マイクロフォーサーズのデジカメまで、持ち出して
なんのこっちゃいつもと同じような重量です。

43年間、カメラを持たないで、外出した事は一度もないので
いつも通りであります。

西部劇のカウボーイが《ガン》無しでうろつかないのと同じですね。
 一度もシャッターを切らない日も無いのでして、ビョーキです。

この間、銀座の画廊でお会いした立体造形作品撮影の 第一人者
『安斎重男』さんは デジカメは持ってないと、豪語してました。
その時もSWC系のハッセルビオゴン38mm、ライカM4にズマロン35mmを付けてました。
でも「さっぱり仕事が来なくなった」そうです。
世界的にもトップカメラマン『安斎さん』でも
デジカメのデータじゃないと、仕事が無いんですね。
「オレは一生、デジカメは使わないと言う
『安斎さん』は亡くなった大沢親分に変わって『アッパレ!』


 「私のカメラ
開店7周年/横浜長者町のバー『オンザロード』のカウンターで
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